牡丹のある家
− 私の家には近郷でも評判されるほどまれに見る立派な牡丹の木があります。
ある日母から電話がありました。
「あんた、ええカメラ持ってるやろ。ウチの牡丹が今すっごいキレイに咲いてるから撮って」
母が経営する店は、実家とは違う場所に出しています。
我が家はかつて、この場所に住んでいたのです。
物心ついたときからこの牡丹はありました。
幼い頃に撮った写真にはこの牡丹と一緒に写っているものが多く残ってたりします。
母はこの牡丹が本当に好きみたいで、電話を受けたときも特別に思うところは無く
「はいはい」
みたいな感じでした。
数日後、また母からの電話
「○○印刷の人が今来てて、牡丹の話をしたら、写真載せたいって言うんよ
電子メールってヤツで○○印刷に送ってくれる?」
○○印刷って会社は、新聞と一緒に定期的に配られる、
「こんな赤ちゃんが生まれました」とか
「公民館で○○教室開催」
みたいな、地元の情報を載せているミニ新聞を作っている会社です。
要するにその、地元ミニ新聞にウチの牡丹が紹介されるそうなんです。
なるほど確かにキレイな牡丹だったからなぁ
実家で法事があったので帰省しました。
誰の法事かというと、曾祖母の「こぎく」ばあさん。
当然会ったことも無いし、どんな人だったか聞いたこともありません。
いつものように新聞を見ようとすると、間に挟まっている地元ミニ新聞が見えました。
そうそう、これに牡丹の写真が載ってるのか...
見ると、母の紹介文と共にキレイな牡丹の花が載っていました。
「今年もわが家の牡丹が綺麗に咲きました。
この牡丹は樹齢120〜30年です。
佐多稲子先生の小説『牡丹のある家』のモデルにもなりました。」
え?
今までそんな話は聞いたことがありません。
そんなに古い木だったってことも驚きましたが、
それ以上に佐多稲子の小説のモデルだってことを全然知らなかったんです。
大阪に戻ってから、早速図書館に行きました。
「牡丹のある家」という作品は短篇小説で、
「白と紫」という彼女の自薦短篇集に収められていました。
− ゆるく登りになっているその道を少し奥へ入ると、
左手に、米谷の家の桃山がある。
主人公の名前は「こぎく」
登場する人物の名前には、祖父や祖母の名前も...
牡丹だけではありません。モデルは「米田家(け)」だったんです。
物語はフィクションなので、この小説をお読みになった方から
「こんなことがあったのか」
と思われると困るのですが、
− 父親は活花などを道楽にしたりする余裕もあった。
など、所々にかつての我が家を垣間見れる部分もあるようです。
祖父も生前よく活花をやっておりました。
自分はもちろん、親も生まれていない頃の我が家を、
文学作品で垣間見るなんて想像だにしないこと。
それを今まで知らなかったというのも、実に恥ずかしい話です。
− 小房は米を洗って白水が出ると流し許から牡丹の方へ二、三歩足を運んで、その白水を牡丹のかこいの中へ流し入れてやった。
そういえば母も同じ事をしていました。
この小説を読んで、思いついたのでしょう。
偶然にも「こぎく」ばあさんの法事の日に、地元紙で紹介された我が家の「牡丹」
母は紹介文の中で
「私の宝物です」
と言いました。
市の都市計画によって、この牡丹も移転を余儀なくされるのですが、
この「宝物」はいつまででも大切にしなければいけません。
こんな宝物って、いいでしょ?
参考文献
佐多稲子「白と紫」(學藝書林)
病床の母には最期まで伝えることが出来なかったけど、
5年前、母が亡くなる少し前にこの牡丹は枯れてしまいました。
今は無くなってしまった「宝物」、そして今新しく授かっている「宝物」を思い、
以前に自身のホームページに掲載していた記事を再掲しました。