人間のココロ

2006年5月17日 午前2時34分
妻の実父である、義理の父親が永眠した。
敢えてこの場では触れなかったが、今年の1月に膵臓癌の診断を受けてから4ヶ月あまり、希望と絶望が入り混じった、とても辛い時期だった。
妻はまさに「献身的」に父親と闘病生活をともにし、この日最期を看取った。
この間、殆ど夫婦としては別居状態となった事は世間的に色々意見もあるだろうが、自分的にはこれで良かったし、妻の父親・家族に対する愛情の深さには頭が下がる思いだ。

昨年の2月は実の母親を同じく癌で亡くし、今年はオヤジを亡くした。基本的に物事は前向きに考える方だが、さすがに悪いものに祟られているんではないかと真剣に考えたりもする。

仕事を休み、妻の実家がある川崎市に向かった。
新幹線で移動しながら、1つの不安を感じていた。
「涙が出るだろうか」
母親が息を引き取った時、自分は傍に居なかった。
親父からの電話を受けて病院に駆けつけたが、亡骸になった母親を見ても涙は出なかった。
痛み止めのモルヒネを投与し続け、もうろうとした意識で「生き地獄」と言いながら、もがき苦しむ母親の姿を見続けていたためか「やっと開放されたね」という思いしか湧き上がらなかった。
本当に「癌」は残酷でこの上なく憎き病。
愛する人間が居なくなることによる悲しみ。そんな人間らしいココロも奪われたのだろうかと思った。

妻の実家に着き、眠るように横たわっている義父に会う。
長いお付き合いは出来なかったけれど、一人の男として尊敬していたし、その息子となったことに誇りを感じていた。
そんなことを思うと自然と涙が溢れてくる。
自分にもまだ人間らしいココロがあるようだ。