問題 19
問題 | 江戸時代、あいおいにお殿様はいましたか? 正しいと思う答えを選びなさい。 a.いた b.いなかった c.どうでもいい |
答え | a.お城が無くても一応いた |
解説 | 「陣屋とは、江戸時代の小藩で、城郭のない大名や旗本の居所をいいます。 寛文十一年(1671)、赤穂藩主浅野長直の養子、浅野長恒が分家したことにはじまり、 長恒は江戸幕府直参の旗本となり、若狭野に陣屋を構え、若狭野十二ヶ村三千石の知行がみとめられました。これが若狭野陣屋の始まりです。 陣屋は三千石の旗本宅としては豪壮で、1600平方メートルの敷地内に本宅(六室)内庭のほか、門・倉庫・馬屋・武器庫などがありました。 現在、札座(藩札をつくったところ)の建物であった法界庵と、那波野西法寺に移築された陣屋門が残っています。」 相生市教育委員会(若狭野陣屋跡案内板より) あいおい市の西部、若狭野という集落に「若狭野陣屋」という、陣屋跡があります。 跡とは言っても、ちゃんと当時の建物が残っている。。。が、今にも朽ち落ちそうなボロボロの状態。建物の中にも入れそうな雰囲気。 説明にあるとおり、この陣屋は忠臣蔵で有名な赤穂浅野藩から分家された、若狭野浅野藩3000石の藩庁。 初代藩主である浅野長恒って、大石内蔵助の家である大石家から浅野家に婿養子に入り、江戸幕府直参の旗本になったという人物。 しかも、その「忠臣蔵」の騒動でいったんは謹慎のような処分を受けつつも、本家が取り潰し(改易)になった後も藩の存続を許されたため、 赤穂浅野家に関する膨大な資料を持ったまま明治維新に至ったという、何気に貴重な存在の若狭野浅野藩。 少し前に江戸東京博物館でも、この若狭野藩を題材にした展示をやってました。 そんな貴重な遺構なのにこの状態。。。 中国からSL買うカネあったら、こっちに使えよ〜 。。と残念に思う |